西浦の田楽が今朝の、月の入りをもって終わりました。
このところぐっと冷え込んで見物の人も大変だったこと
でしょう。外のバケツの水が凍っていましたからね。
田楽の舞もさることながら、田楽堂の裏手にある石碑も
私には興味があります。折口信夫の歌碑です。
灯ともさぬ、村をゆきたり、山かげの道のあかりは、月あるらしも。
と、刻まれています。折口の歌碑は、もう二つこの町にあります。
訪ねてみるのもいいですよね。
田楽が終ると故郷に本格的な春が来る。と、昔から言われています。
Shifo、リッチつながりで入ってきました。
そしたら、折口信夫の歌碑のことが書いてあって・・・どうして歌碑が3つもあるんですか?
昼間、偶然彼のテレビを見たんですよ。中沢新一が「死者の書」について語っていました。
折口信夫の全集の21巻だったと思いますが、信州から遠州を民俗学の研究で訪ねたとき、水窪にも来ていてそのときに、創られた歌が載っていると思います
それを歌碑にしたのだと思います。
中学校には、
ほがらなる、心の人にあいにけり、
うやうやしさの、息をつきたり。
山住峠には、
青々と、山のこずえのまだくれず、
遠きこだまは、岩たたくらし。
が、あります。ちなみに、山頭火も、
足跡あります。
リッチの母です。
そうだったんですか。リッチの母さんだったなんて。mixiの威力が少し分かってきました。そういうつながりができるということなのですね。
折口信夫の歌碑のことありがとうございました。山頭火の足跡もあるなんて、一度訪ねてみたい気がしてきました。お茶摘みの時について行こうかな。
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