西浦田楽その後

昨日、新「別当」のお母さんが、「息子の初めての御札だから。」

と、観音堂の御札をわざわざ届けてくれました。

なんとも素朴な手作りの御札です。


西浦田楽その後




さっそく神棚に祀って灯明をつけて、拝みました。



西浦田楽その後



カメラマンがすばらしい写真は撮ってくれるでしょうが
私の写真は、お母さんのバッグの中にでも入れておいてね。、
とさしあげました。

母親同士で、田楽のはなしになると、ついつい涙ぐんでしまいますが、

奉納してくれた方のところにお礼に回りながら、少しずつ、肩の荷を
おろされているのでしょう。

文化的な価値として写真を残しておくことは、大切なことでしょうが、

地元のお祭りであり、継承していく人達の思いも感じてほしいですね。


この記事へのコメント
まだ一度も見たことが無いです,記録写真などで幽玄な舞を見ました、いつか見たいです。
Posted by S.m at 2011年02月24日 21:35
凄い神事が残っているのですね。
月の出から日の出まで舞うということに驚きます。田楽というからには豊作を祈願した舞なのでしょう。当時は金で食物を買えばすむという時代ではなかったでしょうから、農耕に関する本気度が伺えます。
その伝統行事を若い人が綿々と受け継いでいるというのも良いですね。
Posted by koyo at 2011年02月25日 00:45
s.mさん
一度は観る価値があると思います。
単調な笛、太鼓、舞の繰り返しですが、
その中にも、個性があり、今年の若い人たちの舞は、「やっぱりお父さんと似てるな、」とか「この舞はあの人は上手かったな、」とか地元の人たちの声も多く聞かれました。
毎年旧暦の1月18日の月の出る8時ころから夜通し次の日の朝8時ころまで舞ます。街中の役所の前から3本くらい時間を置いてバスも出るので、機会があったらぜひお越しください。


koyoさん
1300年続いてますからかなりのものです。我が家から車で15分くらい長野県よりに行ったところです。観音堂には折口信夫(しのぶ)民俗学者のこの地を歌った、歌碑もあります。片栗の花の群生地も近くにあります。ご案内しますよ。
Posted by けいこさん at 2011年02月25日 13:32
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    コメント(3)